「知ってて重宝 〜身近にある漢方薬〜/ボタニカルアート」
2010年10月号(1)

犬の絵1

くすりと笑え場

腸子のいいはなし

オナラが出ることは腸が好調の兆候であると、長講しましょう。オナラのもとは腸内のガス。腸内のガスは不消化の食物が吸収されないで、大腸まで運ばれてくると、腸内の細菌によって生物学的な消化を受け分解されてできる。そのガスをオナラといいます。おならの組成分は口から入る窒素・二酸化炭素・酸素でそれ自体は臭くないが、食物が腸内環境において発酵や腐敗することによって発生するガスがにおいの素。主なものは硫化水素・インドール・スカトールという。そのガスが細い肛門壁にたまっている糞便にまぶされ通るからさらに臭くなる。

芋食って君じゃ君じゃとなすりあい

無理して我慢したオナラはどこに行くのでしょう。まず我慢したオナラは大腸に溜まる。普通はこのガスの圧力によって、肛門括約筋がゆるみおならは出るが、我慢すると逆流して小腸が拡張され、いわゆる鼓腸・はら鳴り・ゲップなどさまざまな障害の種になる。まず、ガスは小腸より吸収され血液中に入る。これが全身を回って一部のガスは肺から排出されるが、その他のガスはいろいろな臓器組織で代謝される。いずれにしても、体内アルカリ濃度や代謝をゆがめ有害な働きをする。

オナラの音程は口から声を出す時、声帯の伸び縮み具合と同じ理屈で、肛門を出るときの風圧や湿り具合できまる。肛門括約筋には意識的に働く外肛門括約筋と無意識的な反射で働く内肛門括約筋の締める力に排出されるガスの圧力が紛れ込むとオナラとなる。このため、おなかに力を入れて腹圧を上げ、出るガスの量を調節し、ある程度意識的に外肛門括約筋の収縮を加減できるようにすれば、オナラの音量、音色、音階を変えることも出来る。その音階はメジャー・キーFのへ長調という

徳川時代の中ごろ、安永3年(1774年)江戸の両国や大阪の道頓堀で屁の曲芸をして大評判をとった曲屁福平という放屁の名人が居た。ここからは声をあげてお読みください・・・、「いかなればかの男、中肉にして色白、三日月形の撥鬢奴(はっぴんやっこ)に髪を結い、縹(しめ)の単衣に緋縮緬(ひじりめん)の襦袢(じばん)の裾(そで)を翻(ひるがえ)し、めでためでたの囃子に合わせて、昔から言い伝えし梯子屁(はしごっぺ)数珠玉屁(じゅずたまへ)は言うに及ばず、一中、半中、豊後節、越中おはらや、追分節、あ〜ら目出た、めでたやの三番叟と、三味線浄瑠璃に合わせてドトンパヒョロヒョロブウバッパ音色巧みに、混ぜひり分けてぇ曲屁を奏でるという、たぐいなき屁の名人」と平賀源内は素っ魂消げ、「わが神武天正元年より安永三年に至るまで、二千四百三十六年の星霜を経るといえども、ただの一度もかかる人物が実在したという旧記は見えず言伝にもなし。わが日の本のみならず、唐土、朝鮮をはじめ天竺、阿蘭陀(オランダ)諸処の国々にも有るまじき、ああ良くぞ思いついた、よくぞ放ったり、実に偉い」と褒めそやした。

若いときには、しりの頬っぺた持ち上げれば、屁の勢いで畳からほこりが立つたり、大きな音で並み居る人が、「おッ お見事」などと驚嘆と賛辞を呉れたが、年をとると尻のほっぺもこけて、出るのは一尺に一寸足りぬ音ばかり、クスンと情けない。

すかし屁の音の無きこそ哀れなり

身は無きものと兼ねて思えど

なんて、すかすのでなく、歳はとっても屁は若いと、やはり音高らかに出すべきで、出物腫(は)れもの所選ばずとはいえ、嗜(たしな)み心のある方はトイレに駆け込みましょう。あそこだったら安心、だから音入れという。

運動不足に、是非お勧めしたいのが、労せずして血行をよくする肛門括約筋鍛錬法である。これは肛門をつぼめる・ゆるめるの繰り返しを1分間に百回、延べにして1日千回肛門の収縮を繰り返すと、うっ血しやすい門脈系の血行改善。便通がよくなり、お漏らし解消、いぼ痔・切れ痔・で痔・脱肛に良しと、現代奨励されている緊張と弛緩の交互療法、肛門筋トレである。その効き目の成果を確認できるのは、腸の調子がよくなり、高らかで爽快な音色で周りの人たちを睥睨(へいげい)するだけで優越感を味わえるのである。

におい無きなれば尻込みすべからず

腸の証明(あかし)を音で称えよ

 

「知ってて重宝 〜身近にある漢方薬〜/ボタニカルアート」
2010年10月号(2)

犬の絵2

くすりと笑え場

笑うということ

お正月ですから家族みんなで福笑いをしましょう。もっとも、今どき畳におかめなど顔の輪郭だけを書いた紙の上に眉・目・鼻・口をかたどった紙を置き、できあがりのおかしさを楽しみあう団欒(だんらん)の風習は見かけなくなった。

百年に一度の不景気というのに、「笑えるかぁ・・・」それもそうだけれども、百年に一回の記念すべき世界不況のさなかに生きていると考えれば嗤(わら)うより、健康の証(あかし)にも大いに笑わなければ損しちゃう。深刻な顔をした客に笑いクスリを飲ませたら、ワッハワッハハハと笑い出し、こっちも釣られて大笑い。気が付いたらお金も払わずワッハッハ、こちらも貰わずワッハッハ。

笑うということは本当に体にいいことで、決して悪いことではありません。笑うと病気に対抗するリンパ球、つまりNK細胞が強化され、免疫力が高まり、自然治癒力が増す。NK細胞というのは天然の殺し屋(natural killer)という意味で感染症を退治する働きがある。笑うにはたいてい上を向いてハッハッハァなんて笑いますから、必然的に胸を広げ腹式呼吸になるので老廃物を追い出し血行が良くなる。だからなるべく下を向いて,うふうふうふっなんて笑わないで欲しい。横隔膜を広げワッハッハァこれがいいのです。息を吸いながら笑うことはむずかしい、だから吐きながら笑うわけですが、吐きっぱなしでというわけにもいきませんから必然的に吸う、そこに深呼吸作用がある。これがいいのです。

笑えば脳波に交感神経を活発にするα波が多く現れるので記憶力や集中力が高まり、ボケを遠ざける。笑いということはtension つまり緊張とrelaxation緩和、張り詰めた心を穏やかにするので、頭がそれらしく働くわけで、血液の循環が良くなること請合い。いない居ないばぁ・・・と顔を出せば赤ちゃんだって笑うのは、顔を見て安堵するからで、笑いとは防衛解除である。お腹をよじり(捩り)体をくねらせますから体に良くないわけはありません。良くないことといえば笑い転げて緊張が解けすぎ、お漏らしなんかする人があるかもしれませんが、それはそれでいいのです。笑いは内臓の(jogging)ジョギングの効果が、下(しも)にも及んだことである。

笑いは事実アドレナリンという興奮ホルモンの分泌が緩み、エンドルフィンという鎮静ホルモン物質が生じ痛みや不快感が薄れる。したがって糖尿病患者の血糖値が下がり、リウマチなどの痛みの元凶になっているインターロッキン6と呼ばれる物質の量が減少するので痛みの緩和に役立つことは臨床的に証明されている。悲しいから泣く、面白いから笑うというけれど、悲しくもないのに10分も泣きまねしていると本当に、なにかしら悲しくなってしまう。これは科学的にも証明されている。泣くことが先行するからです。しかし、人間は走りながら長くは泣けない、いやそんなことは無いと思うだろうが、走っているうちにエンドルフィンが分泌され次第に鎮静されてくるからで、子供が泣いているうちにいつの間にか眠ってしまうあの現象と同じである。

体を動かすと悩みが消える、感情が抑制される、駆けながら考えごとは出来ないから、いや待てよと立ち止まる。それに人間はこぶしを固めて笑うことは出来ないのです不思議でしょう。も一つ不思議なことは、わきの下を他人にくすぐられると、やめぇて〜っと身もだえして笑い転げるが自分でやってもくすぐったくはない。自分の刺激は感じない。脳のどの部分の働きに関与するのかが解明されていない。“笑う門には福が来る”のは本当で、「世の中の不幸は俺に任せろ」と、眉間にしわをよせて陰気な顔をしていると、顔に険が宿り人が遠ざかる。

人が一日に笑う時間は23秒であるという研究がある。鏡に向かって毎朝笑顔を3秒するだけで心がリフレッシュする。いつも笑顔で居ると円満なごやかな顔になり、懐中(ふところ)素寒貧(すっかんぴん)でも相手に恵(え)み心が生じ、借りた金も「返さなくてもいいよ」などと宣(のたま)い福がくる。幸せだから笑えるのではなく笑うから幸せなのだ。よく笑う人はその理屈で血色もいい、愚痴や難癖ばかり言っていると老けも早い。「一笑一若 一怒一老」いうからね。眉間(みけん)のしわより片笑窪(えくぼ)。

角ばった顔で浮世を丸く過ぎ

苦酢利


「知ってて重宝 〜身近にある漢方薬〜/ボタニカルアート」
2010年10月号(3)

犬の絵2

くすりと笑え場

オイルショック

お釈迦様の仏の悟りを完成させること、つまり成仏得道を妨 (さまた) げようとした魔王の名をma〜ra即ち、魔羅・摩羅・末羅といい僧界では陰茎を隠語でそういう。歯・目・魔羅が衰え行くさまを「魔羅歯(マラは)駄目だぁ」と自嘲するようじゃ、嫌が上にも悟らせられるのは老いるショックである。

老化とは何かとはいろいろ学説はあるが、人間も車と同じ使い古されればタイヤは磨り減りオイルがこびりつき、ガソリンが不完全燃焼をする。そうすると排気ガスを生じ、塗装が剥がれサビがでてきて、やがてポンコツとなる宿命である。人間は生き長らえる過程の疲労の累積が臓器組織をキズ付かせ、生命の根源である細胞の回復力が失われる現象を老化という。決して足腰が弱り廊下で蹴躓(けつまず)いて転んだから老化現象というわけではない。しかし同じ年齢でも若く見える人とふけて見える人がいる。

消化器学説では、年をとると便秘をするのは腸内の善玉菌と悪玉菌のバランスが崩れた証拠、若い人でも便やオナラが臭いのは腸年齢がすでに老化している。同じ環境にいても風邪を引きやすい人、アトピー体質の人がいるのは腸内の環境が悪く、免疫力つまり病気に対する抵抗力が無いからだとする。腸こそ生命力の根幹、食べた栄養素は腸から吸収されるのだから老化と腸内環境の悪化との関連は道理である。

無理して老いに逆らい口紅つけて若く見せよう、と努めるのは結構だし、それをたしなみと好意を持つ人と焼きそばの上の紅生姜みたいだと滑稽に思う人もいるだろう。若く見られたい、なら、自分より老けた人とばかり付き合うことです。そうでしょうか、老いと知的能力の衰えは一緒ではない。老化に伴う容姿容貌を跳ねのける知的好奇心の旺盛な人は、老いて経験を得ることでこそ磨かれ、豊かになる知恵という光を見せる。皆さんの周囲にも90歳を過ぎてもパソコンを駆使しインターネットで孫と交信するばかりか外国の友達とメールのやり取りをしたり、毎日鏡に向かい薄化粧し、自分に魅入り、人に不快感を与えないことを鉄則に日常を生きる元気な高齢者も多い。

高校生のアンケートに、年よりは物知りだからと敬意を払う反面、年寄りは臭いからイヤッと切り捨てる子も多い。そのくせ将来は福祉関係に従事したいなんて希望をもつ。福祉介護に就職しても長続きしないのは核家族、日ごろ年寄りと一緒の暮らしに慣れていないからの途惑いが、いや・嫌・厭・うんざり・こりごり・飽き飽き・疎ましい・見苦しい・汚らわしい・いやらしい・忌まわしい・いけ好かない・見苦しい・呪わしいなんて、まぁそんなまで思う子はいないだろうが、介護施設の年寄りの中には、わがまま勝手な人も多い。つむじまがりやへそ曲がり、偏屈強情石頭は一見柔和にみえても、

淡々としてだんだん意固地なり

それを年寄りの習性と見るには、世慣れぬ尋常なだけに途方にくれることもあるのであろう。先の「臭いから嫌や」は老臭である。テレビのCMが毛髪・制汗スプレー、口臭予防、タバコのにおい、お部屋のニオイ、カーテン、ペットと、なんでもにおいあるものは消そうとするなら、呼吸もおならも出せない消臭社会である。そのため今や臭わない便を出す飲み薬まで出来ているほどのエスカーレートぶり。ウンチなどニオイも嗅がずその姿も見ないうちにたちどころに流してしまう。健康のバロメーターの色、香も嗅がず健康法を説くのは本末転倒でうんざりしてしまう。

加齢臭は、体の中で活性酸素が増えて皮脂が酸化しノネナールという脂肪酸が生成されることで生じる。対策としては清潔が何よりだが、昔から梅干や海草、キノコ(マッシュルーム)食物繊維などはそれ自体に消臭作用がる。大いに摂るべきである。「おじいちゃん臭さ〜い、なんて孫に言われたときは、いよいよ俺もかと老いるショックを知らされたょ」「それよりねぇ 老臭より老醜のほうを心すべきだぜ」「老醜とはねぇ」

どれどれとメガネはずしてしゃしゃり出る

単に衰残の姿振る舞いではなく、自分の年相応のposition(立場)をわきまえ、parasite(寄生虫)みたいにへばりつかず、人と仲良くkindness(親切心)を失わなければ、ニオイなんか気にすることは無い。それがPPKぴんぴんころりだよ。